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?アフリカンシクリッド飼育とドーベルマン&ウィペットとの日常です。

八百比丘尼 Ⅰ

北陸地方には、古来より哀しい人魚伝説があります。


「白比丘尼」(別名「玉椿姫」または「八百比丘尼」)という尼僧の伝説があります。


一般的には富山県に伝わる伝承が有名のようです。


しかしこのブログでは、福井県小浜市の空印寺に残る伝承をもとに記載しましたので、小浜市の空印寺での記載が『八百比丘尼』となっていましたので、ここでの本題も『八百比丘尼』としました。

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その昔、蓬莱の国からやって来たという一行が、現在の小浜に立ち寄ったという。

そんな時、その地の長者は病弱な娘の身を案じていました。

蓬莱の国からやって来た一行は、お世話になった御礼にと、長者に肉を手渡します。

それは、とても良い妙薬になるという肉でした。

長者は、早速娘に食べさせました。

すると娘の顔は白玉のように美しくなり、その知恵は万人に優るようになりました。

そしてこの娘は、何十年経っても二十歳くらいの若々しい姿のままであったといいます。

この娘が口にした妙薬になるという肉は、人魚の肉だったそうです。

人魚の肉を食べると、不老不死になるという伝説が残っています。

伝説の通り娘は、病気どころか死ぬこともかなわぬ身になってしまったのでした。

そしてこの娘は、百二歳の時に出家し、尼僧になりました。

尼僧になった娘は、小浜を出て全国を行脚して回ったそうです。

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ある時、尼僧になった娘は小浜へと戻ります。しかし、死ねないことほど辛く悲しいことはなく、この世に生き続けることに耐え兼ねて、とうとう海岸の岩穴に入ります。

そして、岩穴に入る前に椿を植え、人々にこう告げたそうです。


「この椿が枯れたら…。この椿が枯れたなら、私が安らかな眠りについたと思ってください。」と…。


この時

「たのみなば命のほどやながからんいわまのしずくつきぬかぎりに」


尽きることのない命のやるせなさを伝える悲しい歌を詠んだといいます。

この岩穴に入るまでに、八百歳まで生きたという伝説から『八百比丘尼』と呼ばれるようになったという。


空印寺の岩穴の前には、今でもたくさんの椿があります。

そして、その椿は現在でも花を咲かせ続けているのです。

岩穴は数十メートルも入ると、出口がわからなくなると言われています。

以前には、失恋した女性が岩穴に入り、比丘尼様のもとで自殺したそうです。(現在では、岩穴へは入れない措置がされています。)


椿の花が咲き続けているということは…。

彼女は、岩穴の中で現在も生き続けているのでしょうか?


八百比丘尼のその後については諸説あるようです。


・岩穴は海に通じていて、比丘尼は人魚になった。

・岩穴は何処か高い山の頂に繋がっていて、比丘尼はそこから天上界に旅立った。

など…。


八百比丘尼入定の地

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伝説のあった時代には、現代よりも海水温が高く、若狭湾あたりまでジュゴンが生息していたといいます。

当時の人々が、そうしたジュゴンの肉を食べていたとしても何ら不思議なことではないでしょう。

人魚伝説というものは、そうしたことから語り継がれてきたのかもしれません。


でも、ちょっと待ってください。

自分なりに少し文献を探ったり、いろいろな伝承や伝説が書かれている書物を読んでいくうちに意外なことがわかってきました。


この続きは『八百比丘尼 Ⅱ』で…。