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?アフリカンシクリッド飼育とドーベルマン&ウィペットとの日常です。

八百比丘尼 Ⅱ

前回の、八百比丘尼のお話の書き出しを覚えていますか


「蓬莱の国」から来た一行が…

という一文なんですが。

小浜にある人魚の浜や、空印寺には、人魚伝説に関する事柄がそこかしこに書かれています。

では、この「蓬莱の国」の使者とある「蓬莱の国」とは何処のことなのか?

人魚の浜にある説明文には、「蓬莱の国」とは現在の「インド」のことだと書いてありました。

インド洋にはジュゴンも生息していたでしょうから、間違いではないんでしょう。

でも、少し面白い書物を見つけてしまいました。

比丘尼と、それを関連づける証拠は何もありませんが…。

何だか、結びつけてしまいたくなるのは…。自分だけなのでしょうか…。


不老不死の「霊薬」を求めて日本に上陸したという、徐福という仙術師の足跡が日本各地に残されているという。

紀元前3世紀の中国に君臨していた秦の始皇帝。その始皇帝の「老死から逃れたい」という願いに対して、「東海の遥か彼方の蓬莱山という神仙の地は不老不死の霊薬を産する…。」

といって方士(仙術師)である徐福は、霊薬捜しをかってでたという。

この徐福の申し出に疑心を抱きながらも、始皇帝はこれを受け入れ、徐福の要求する通りの船と人員、および金品を援助した。

こうして援助を受けた徐福は、船58隻に男女500人が乗り込む大船団を組んで東海を目指して旅立った。

徐福が目指す東海の蓬莱山とは?どこのことだろうか。中国から見て東海とは日本をさす。徐福は、霊薬のことを何かで知り、日本のどこかにあるとされる蓬莱山を目指したのだ。

まず、一行が辿り着いたのが佐賀県だった。そこで金立山を蓬莱山とみなし探索し、そこでは別の薬草を見つけたが、不老不死の薬ではなかった。

そこから再び海に出た一行が、次に上陸したのが紀伊の熊野であった。が、ここでも霊薬は見つからなかったのである。そのため徐福は、しばらくこの地にとどまり、蓬莱山や霊薬に関する情報の収集につとめた。

そんなあるとき、「ここよりはるか東のほうに、美しい霊山がある」といった話を徐福は耳にした。

一行は、その霊山を目指してまた海に出た。やがて一行の目の前に薄っすらと煙を上げる秀麗な山が飛び込んできた。

富士山である。

これを蓬莱山と確信した徐福は、この山の北麓の阿曽谷に一行と住むことを決心したのだった。

しかし、ここでも不老不死の霊薬を探しだすまでには至らなかったのである。

だが、このまま中国に帰れば始皇帝との約束の死が待ち受けている。そのため徐福は、そのまま日本にとどまった。そして、儒学に通じ、仏教も学ぶなど知識欲旺盛な徐福は、古史古伝類の研究に余生をたくし、富士の中室で逝去したという。

因みに今日、「富士古文献」あるいは「宮下文献」として伝えられている謎の古文献は、徐福が古伝を採録して、漢文によって史伝にまとめあげられたものだといわれている。


秦の始皇帝は、一般的によく知られているとおりで、かなりの暴君でした。

結果を残せなかった徐福が帰国すれば、即刻処刑されたであろうというのも簡単に想像ができます。

しかし当時の始皇帝は、徐福に処刑はしないので帰国するようにと何度も使者を日本へ送ったといいます。帰国しても処刑されないというものは、徐福を騙すためであったということも考えられますが、そうではなかったようです。

実は始皇帝は、徐福の土産話を楽しみにしていたそうで、それゆえ帰国してもまず処刑はなかったであろうと言われています。

では、なぜ徐福は帰国をしなかったのか?

もしも徐福が不老不死の霊薬を見つけていたとしたら、それを国に持ち帰れば英雄にはなれますが、その霊薬が徐福の手に入ることはまずないでしょう。

徐福でなくとも、普通の人間ならば帰国せず不老不死の道を選ぶのではないでしょうか。

富士の樹海の何処かに、不老不死の村があるという伝説もあるほどです。そしてもう一つ、『富士』は『不死』とも呼ばれたそうです。

『不死山』と呼ばれた山麓のその村では、徐福が中国から渡ってきた一行と共に、今でも暮らしているとしたらどうでしょうか…。


徐福が探し求めた『蓬莱山』

そして、比丘尼に妙薬だと人魚の肉を渡した『蓬莱の国』の一行。


キーワードは、この『蓬莱』にあるのではと感じずにはいられません。


『蓬莱の国』からやってきた一行というのは、インドからやってきた人々ではなく、中国から霊薬を捜して日本にたどり着いた徐福の一行だったのでは?とは考えられないでしょうか。

その徐福が、お世話になった御礼にと、長者へ人魚の肉という不老不死の霊薬を、妙薬だとしてお土産に手渡したのではと考えるのはおかしいでしょうか。

そう考えた方が、話のつじつまが合うのでは?と感じてしまいます。

何れにしても、『比丘尼』も『徐福』も、不老不死というものに翻弄されてしまった被害者だったのかもしれません。